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小松丸はナゼ赤い

帆走する 海御座船・天地丸「小松屋の屋形船はどうして赤いの?」

不思議そうに訊ねるお客様も少なくありません。

勿論、理由があってのことなのです。

第八小松丸は、徳川三代将軍家光時代 寛永七年(1630年)に建造された海御座船〔うみござぶね〕天地丸〔てんちまる〕をモデルに平成四年(1991年)に神奈川県三浦市の造船所にて建造されました。

天地丸は建造時から233年の間に幾度かの大修理を重ね、幕末の廃船までに代々将軍の御座船として、隅田河畔安宅船蔵(現在の蔵前付近)に係留されていました。(お台場の船の科学館に天地丸の模型(明治時代に造られた)が展示されております。)

蔵前の由来になった「蔵」を模した壁面
蔵前のテラス[一部だけ朱塗りになっている]
現在の蔵前付近の様子

天地丸は船体、屋形とも、すべて朱塗りで、随所に金の金具を付けた華麗な外観が伝えられており、構造的には二階造りで、下部には七十六挺の櫓を据え、上部に将軍の御座所がありました。

内装は、写真が残ってはいないのですが、徳川将軍家に相応しい豪華な装飾だったと言われます。幕末に撮影された貴重な写真があるのですが、残念なことに外観のみで内部が分からないのです。

そこで、第八小松丸の内装の参考にしたのが、肥後五十四万石、細川藩の海御座船「波奈之丸」(はなのまる)です。

元々は、参勤交代用の五〇〇石積以下の関船(せきぶね)で、御召関船(おめしせきぶね)と称しどこの藩もかなり華麗な船になっていきました。

「波奈之丸」は現在、熊本城の天守閣内に展示されていますが、朱・金・黒を用い豪華なことこのうえありません。
床の間まで付いた御座の間、次の間やら、長旅のためでしょうか、藩主のための湯殿まであったことが分かっています。
写真だけではなく、ぜひこの目で確かめたいと思っています。

第八小松丸は、隅田川の現状(水面よりの橋の高さ等)に合わせ、平屋造りとし、御座所として使われた部分を客室にしました。

隅田川にて第八小松丸木造船である天地丸の船体部分の自然な曲線を如何に出すか、船首の水押(みよし)の形状、水押先端につける飾りである「下がり」をどうするか、塗りの朱色の選択等、造船所と何度も話し合い試行錯誤の上で完成に到りました。

なぜ紅いかお分かりいただけましたでしょうか?

ご乗船のときには、ぜひ将軍になった気分で、江戸の昔を思い浮かべてみるのも楽しいことと思います。

参考文献「復元日本大観4 船」世界文化社 刊

2007年2月15日

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